二十歳のころの夏、西日本をバイクでまわり、経験したことが僕の絵の原点になっていると思います。明石からフェリーで淡路島に渡り、太平洋側の道を気の向くまま、青い空を見ながら旅をしました。知らない土地に足を踏み入れるたび、そこで暮らす人たちの暮らしや方言、自然の美しさに接し、すべての事が新鮮に感じられました。“一期一会” と言う気持ちで色々な方と話をし、人の温かさに触れました。バイクにテントと寝袋を積み、河原や海でキャンプをしたり、時にはユースホステルにも泊まりました。
四万十川でキャンプをしていると、前の日に飲み水を分けてもらった近所のおじさんが朝早くたずねてきてくれました。「昨日は寝れたか」と声をかけてくれ、「蚊が多くて余り眠れませんでした」と言うと「アホやな蚊取り線香ぐらいやるのに」と言ってくれました。何気ない言葉が嬉しかったことを覚えています。ふらっと入った食堂では「遠い所からよく来んさったね」とご飯をサービスしてくれました。高知の窪川と言う小さな町ではお寺が経営しているユースホステルに泊まり、東京からきた相部屋の大学生と仲良くなり夜遅くまでお酒を飲みながら旅の話で盛り上がりました。この町のひなびた雰囲気が好きで連泊し、のんびり町を見て回りました。
また、鹿児島ではじりじりする太陽の下、錦江湾下に雄大にそびえる桜島を眺め、有明海では泥の海に沈む夕日に感動しました。誰も知り合いのいない旅先では、人の温かさ、自然の美しさは普段感じないぐらいにありがたく、そこに暮らす人や町に興味を持つようになり郷愁を誘う風景に惹かれていきました。
僕の絵に青空が多いのは、青空が好きだと言うのもありますが、旅をしている時のあの夏の青い空がずっと心に残っているからだと思います。それと、青一色の空は午前、午後など時間の経過を連想させにくいというのもあります。雲も時間の流れを作ってしまうのであまり入れません。僕自身がそこで見て感じた事や想いもありますが、それとは別に見てくれる人に自由に想像して欲しいのです。たとえば、むかし暮らした町の風景や、田舎で遊んだ記憶を思い出しながらおもいおもいに物語を作っていただければと思っています。神戸の「ギャラリー島田」で初めて個展をさせて頂いた時、お婆さんとその娘さんが「新聞の記事を見て来ました」とわざわざタクシーに乗って来て下さいました。お婆さんは絵を見ながら「以前住んでいた大阪の長屋の事を思い出すわ」と懐かしそうに笑顔で話してくれた事を今でも覚えています。
二年ぐらい前までは絵の中に人物を入れない事にこだわっていました。絵の中にある物や道具で色々と想像してもらいたいと考えていたからです。たとえば家の前で育てている花や植木を見て、「住んでる方が愛情を込めて育てているのだろうな」とか、干している洗濯もので、「どんな人がいるのかな」などと想像を広げてもらいたいと思うからです。僕は自転車・バイク・船・車といった乗物や、工場・商店などをよく描きます。生活に必要不可欠な物や建物に人間を感じるからです。長年働いて錆びたり汚れたりしている道具たちは、とても魅力的で新しい物にはない美しさが感じられ、温かい気持ちにしてくれます。
しかし最近、新聞や本の仕事をさせて頂くようになり、絵の中に人物を入れて描く事も大切なのではと思うようになりました。例えばお祭りや商店街、子供たちが川や海で楽しそうに遊ぶ姿は人間がいないと成立しない風景です。花火大会で雄大に打ち上がる花火は職人さん達が沢山の人に見てもらいたいというおもいで作った物なので沢山の人がいてこそ成り立つと思います。沢山の人物を絵の中に描いても、その絵を見てくれる個人の気持ちは投影出来るではないかなと思うようになりました。
新聞や本の仕事をさせて頂いた事で自分の中の作品に対する視野が広がり、描きたい物が次から次へと沸いてきます。これからは青空の他にも夕方の黄昏どきや月明かりなどかなり時間が限定される風景なども新たに挑戦していきたいと思っています。
二十歳のあの頃、旅をしたことが絵を描くきっかけとなり、ライフワークとなりました。また絵を描くことで知り合いになった沢山の方々と心を通わし、お付き合いをさせていただく中で、旅をした時以上に人の温かさに触れ、日々感謝の気持ちでいっぱいになります。これからもいろんな所へ行き、感動し、言葉をもらい、絵を描き続けて行きたいと思います。
須飼秀和「いつか見た蒼い空」より